録画しておいたオスマン帝国みています。

今、80話過ぎたところ。

イスラム教のことをあまりよく知らなかったのですが、よくニュースで言われるのは、イスラム教でも宗派間の争いがあるとか、キリスト教との戦いとか、エルサレムでは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教のそれぞれが、聖地があるので、和解しがたい対立があって、イスラム教の聖地をユダヤ教の政治家が、どうしたこうしたとか、いろいろあって、大変だと思ってましたが。

オスマン帝国では、ま、15世紀くらいのことだったと思いますが、すべての宗教を否定せず、ほかで迫害されたキリスト教徒や、ユダヤ教徒を受け入れて、保護してあげるというスレイマン皇帝の言葉が印象的でした。

それから、いろいろな歴史が積み重なって、十字軍とか、ユダヤ建国とか、イスラム教も、いろいろな宗派に分かれたとかありますが、スレイマン皇帝は、そんなことを言っていたのか、と思いますが。

でも、次の影の女帝キョセムの話になると、最初の話が、びっくり。

皇帝が死ぬと、兄弟すべてが、棺に入って、運び出されたという独白から始まる。

ま、オスマン帝国では、スレイマンン皇帝の息子が、互いに対立し、陰謀をめぐらして、戦うが、ヒョッレム寵妃は、最初の皇子であるムスタファ皇子を、陰謀で処刑させたあと、自分の息子たちを必死に守ろうとする。しかし、セリム皇子の妻ヌールバーヌが、パヤジト皇子を陥れて、ついに、セリムが次の皇帝になるらしい。

ヒュッレム寵妃は、ウクライナからきた奴隷で、ヌールバーヌはベネチアからきた奴隷だったとか。

オスマン帝国は、その当時、ヨーロッパを席巻するほどの勢力を誇っていて、世界皇帝と名乗っていた。

今のトルコが、その末裔で、イスタンブールにあるトプカピ宮殿が舞台だ。

ヨーロッパの歴史をちょっと調べると、ハンガリーとか、オスマン帝国に比べればかなり遅れていた地域だったようだ。

ベネチアはかなり大きな国だったらしいけれども。

それはそうと、超古代の遺跡が、トルコには、たくさんある。

ギョペグリ・テペ遺跡は1万2千年前の新石器時代に作られた。

メソポタミアやエジプト、中国などよりも古い。

トルコ料理って、世界3大料理にも入っているし、不思議な国。

 

 

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